ハンディキャップ・プログラマ〜そして示される退院への道標〜

色々な事情が絡みあったとはいえ、倒れて1ヶ月あまりで退院して復職する方向で舵を切ったわけだが、当時の身体機能を考えれば、客観的に見て、「お前は何を言っているんだ」という有名なネットスラングを送りつけたい気分だったろう。

 

トイレには、看護師同伴(見守り)+装具でなんとか行ける状態で、裸足での歩行はまだまだ無理だった。腕は相変わらずオワコン状態だし、顔面の麻痺も完全に治ったとはいえず、まだ"ら行"の発音等怪しかった記憶がある。

 

在宅での職務復帰については、妻が会社と掛けあってくれて早々にOKはでていたが、妻が会社に行っている間、自宅で一人で自活出来るかと言われると、周囲は皆はてな顔の状況。一方、退院の時期や目処に付いては、担当医からこちらにバトンが渡っていたので、こちらの一存で決められる(決まる)状況。

 

いろいろ悩んだが、退院しても妻に介助で負担をかけては意味が無いと、自活出来ること…担当医の言葉を借りると「最低限、自分の生命を維持できる状態になること」が出来るようになった段階での退院とした。

 

「最低限、自分の生命を維持できる状態になること」…仰々しい表現だが、自分だけで食べて、寝て、トイレに行けるぐらいの身体機能の回復を目指す事になった。