ハンディキャップ・プログラマ 〜プログラマとしての自分〜

結論からいうと、プログラマとしての自分が死んだつもりはない。社会人としても。

運良く自分は脳卒中で”自分自身”を失わなかった。

 

今思うと不思議なもので、プログラマとしての自分の生き死には心配していたが元職に戻れるかどうかを心配してことはなかった。おごりだろうか。余裕がなかっただけだと思いたい。

 

社長は、自分が倒れた当初から「頭だけ無事でいてくれれば」と言っていたらしい。聞いた当初は「人格無視か!」と憤っていたものの、今にして思えば、手足が不自由なじぶんを受け入るという麻痺を見越したうえでの、彼なりの優しさだったと思っている。

 

3年弱仕事をさせてもらっているお客さんにはわざわざお見舞いに来てもらった時に「左手動かない?今までよりプログラミング少し遅くなっただけでしょ。あなたの本分はそこじゃないでしょ(自分が買ってるのは思考力だ)」と遠回しに励ましをもらった。

 

自分が普段尊敬している人たちに只々励ましてもらえたことには感謝しかない。冷静にかんがえれば、右手だけでもプログラミングはできるのだ。プログラマとしての自分の生き死にを決めるのは自分だったのだ。30年鍛えた論理的思考回路は生きている。

 

ウジウジしている自分に活をいれてくれたのは同室のおじいちゃんだった。御年86歳糖尿病で片足は義足のおじいちゃんがいうのである「90歳待まではは畑をやる!90歳になったら施設に入る!」おいおい、37歳の若造が悩んでる場合じゃないよ。

 

僕はまだやれる。